昨日に引き続き今回も名鉄三河線の廃線跡を辿ってみた~その2です。
ところがここで残念なお知らせ。矢作川を超えて三河旭駅の次の駅である中畑駅なのですが、線路跡は見つかったのですが駅舎跡、ホーム跡は見つからず。
しばらくウロウロしましたが、どうやら近くにある工場の駐車場になってしまったようで、写真が撮れませんでした。15年前はこの工場へ通勤するために乗り降りする人が多かったのかもしれません。
しかたがないので諦めて次の駅へと走ります。
中畑駅の次の駅は三河平坂駅。駅に近づくに連れ、徐々に見覚えがある景色になりました。15年前の記憶が蘇りつつあります。
が、ホーム跡に来てみたらこれ。完全にアスファルトで舗装されており、駐車場(?)になっていました。
左側の工場っぽい建物は15年前の記憶にも残っており、ここにホームが有ったのは確定なのですが、あまりの変わりようにちょっとショックでした。15年経てばこんなもんですかねぇ。
同じ場所から振り返って、中畑駅方面の廃線跡を眺めます。この景色は見覚えがあります。
近くにあるおそらく駅前の売店であった建物。今も営業しているかは謎です。
三河平坂駅の次は三河楠駅なのですが、ここも完全に住宅街になっており、15年前に来たときはのどかな田舎の風景に有る駅だったのに、今はどこにもホームの面影はありませんでした。
線路跡は高い土手になっているので、よじ登って駅の有ったと思われる場所を撮っておきました。あの家の向こうぐらいが駅だったと思います。
上を線路が走っていた土手の切れ目。割と雑に放置されています。撤去するのにもお金がかかるので、しばらくはこのままでしょう。
そして三河楠駅から次の寺津駅へ向かう途中に、出ました。これがあの有名な「無駄遣い高架橋」と言われる立派な高架橋です。こんなに立派な高架橋なのに、現在列車は走っていません。
この高架橋は中部国際空港の建設にあたり、岡崎から衣浦海底トンネルへの交通量が増えることを懸念して高架橋を建設しました。
1998年完成、そして2004年三河線廃線。わずか6年しか使われなかった高架橋です。
建設するのに20億も使いましたが、取り壊すのにもお金がかかるのでしばらくはこのまま放置されると思います。
ちなみに期待されていたほど、この道路を通って空港利用する量は増えなかった模様。難しいもんです。
無駄遣い高架橋を跡にして線路跡を辿っていると、なにやらホーム跡っぽい場所を発見。次の寺津駅まではまだ距離があるので、調べてみたところ北寺津駅という1969年に廃止された駅のホーム跡っぽいです。
なんだか植物が植えられていますが、たぶん名鉄の土地に近所の人が勝手に植えたんでしょう。もしくは名鉄から土地を購入したのかな?
中畑駅、三河平坂駅、三河楠駅と2004年に廃止されたホーム跡が無くなってしまっていたのに、1969年廃止の北寺津駅のホーム跡が残っているというのはなんとも面白いです。
そしてまた線路跡を辿っていくと、寺津駅跡に出ました。ここはまだホーム跡もきれいに残っており、15年前の記憶とも一致します。
この手前の道路が15年前はもっときれいな舗装だった記憶があります。
反対側から見るとこんな感じ。まだしっかりとホーム跡が残っていて、当時の雰囲気を残しています。
碧南から矢作川を渡って、やっとまともにホーム跡が残っている駅にたどり着きました。駅のある場所はもともと住宅や工場が近くにあるので、廃線になったらその土地が住宅地になったり工場の駐車場になったりするのは、必然なのかもしれません。
さて残る駅は西一色駅、三河一色駅、松木島駅、吉良吉田駅となりますが、長くなったので今回はここまでとし、次回に続きます。